生産品について
ひとを結び、明日を創る
くりやの創業者吉兵衛は米屋を始める前に父、直七と共に回船業を営んでおりました。
千石船と呼ばれる最大級の貨物和船を地域の人たちと共に出資し、その商売を拡げてきました。
讃岐三白(砂糖・塩・米)を大阪を中心に全国に運び、その帰り荷は地域の特産品を積み各地で販売してきました。
そんな商いの形は、人とのご縁を結び、つないでいくことで成り立っていました。
商売が順調に進んでいたおり小樽沖で大吹雪にあい、船は沈没。
他の出資者とともども吉兵衛は無一文になります。
しかしそんな逆境の中、吉兵衛は海運依存から一変し、米屋として「栗屋」を創業しました。
くりやの創業の精神は、初代吉兵衛のひとを結び、つないでいく回船業時代からの考え方。
そして自らが未来を切り開いていくその開拓者魂にあります。